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未来テクノロジー

テクノロジーが拓く、豊かな未来。挑戦し続ける人と企業をクローズアップ

宇宙と原発をつなげた「耐放射線」の技術で
地域一体となったモノづくりを目指していく

2022年01月25日

赤塚 剛文さん

マッハコーポレーション株式会社 代表取締役社長

1954年、山形県生まれ。1978年、日本大学農獣医学部(現生物資源科学部)卒業。同年陸上自衛隊(第2高射特科)に入隊、後に航空自衛隊に出向。1980年、日本電気株式会社(NEC)に入社し、宇宙開発事業部で人工衛星搭載機器(通信機器・光学センサ)の開発・設計に携わる。1999年にマーテクノロジー株式会社を設立し代表取締役に就任。その後合併等を経て、2012年から現職。

宇宙と原発がつながっている──そんなことを考えたことがあるだろうか。その始まりとなったのが「CMOS撮像素子(さつぞうそし)」だ。半導体製造から宇宙開発へと舵を切ったマッハコーポレーション株式会社が、JAXA(宇宙航空研究開発機構)との共同開発により、これまでにない高性能の耐放射線撮像素子を生み出した。そしてそれが耐放射線カメラへ。代表取締役社長の赤塚剛文さんを訪ねて、これらが生まれるまでの取組や今後の展望などをうかがった。

自社の技術を信じて挑戦した
JAXAとの「CMOS撮像素子」共同開発

多くの人が小惑星探査機「はやぶさ」を覚えていることだろう。その何年にも及ぶ過酷な旅は、私たちに大きな感動を与え、日本の宇宙科学技術の進歩を実感させてくれた。後継機である「はやぶさ2」もまた、無事に小惑星の検査・分析用サンプルの回収を成功させ、現在も旅を続行中。「はやぶさ3」についての計画は未定だが、プロジェクトを視野に入れた技術開発はすでに行われている。そして、その技術の一部が、原子力発電所の廃炉作業などにも活用できる製品になった。

それが、マッハコーポレーション株式会社(以下 マッハコーポレーション)がJAXA(宇宙航空研究開発機構)と共同開発した「CMOS撮像素子」だ。撮像素子とは、被写体の光を画像データに変換する部品のことで、イメージセンサとも呼ばれる。デジタルカメラに内蔵されており、撮影画像の質を左右する鍵となるものだ。CMOS撮像素子は、そのセンサを人工衛星搭載用カメラに使用できるよう性能を向上させたもので、観測器にも使える感度と耐久性を有する高い性能を備えている。

JAXAとの共同開発で誕生した「CMOS撮像素子」

人工衛星にとってカメラは「目」となるものだ。課せられた目的を達成するため、周囲の惑星などの位置を正確に把握して自らの軌道を修正し、地表のデータをクリアに捉え、収集する際の距離的な誤差を最小限に留めるといった、高い性能が求められる。

国内の半導体メーカーが半導体の製造を次々に停止または縮小してから、「はやぶさ」「はやぶさ2」も含め、わが国の探査機や人工衛星に使用されていたカメラの撮像素子はほとんどが海外製になってしまうことになる。細かな要望への対応や不具合についての情報提供などが成されず、それが開発・改良の妨げになることも少なくなかった。そのため、宇宙開発分野では国産による高精度撮像素子の復活が切望されていた。

「宇宙空間は地上の100倍以上という放射線量の高い環境にあります。そのような環境のなかで使用されるカメラは、放射線下でも正確に作動し続けなければなりません。私たちにはそれを実現できる技術があると考え、以前から協力関係にあったJAXAと契約を結んで、人工衛星用撮像素子の共同開発を2015年からスタートさせました」

マッハコーポレーションの赤塚社長は、自社が長い間携わってきた半導体の技術に対する自信と新たな挑戦に向かった情熱を思い起こしているように見えた。

CMOS撮像素子を使用した「人工衛星搭載用耐放射線カメラ」(試作品)

厳しい局面を乗り切る一手として
宇宙開発に取り組む企業が誕生した

マッハコーポレーションの前身は、DRAM(Dynamic Random Access Memory)※などの半導体を製造する企業である。半導体は、身の回りの電化製品や交通、通信のような社会インフラなどに利用されており、私たちの生活には欠かせないものだ。そのような半導体を作ってきたメーカーが、宇宙開発を行っている企業と合併し、新たな製品の開発・製造にシフトチェンジ。現在のマッハコーポレーションが誕生した。
※半導体を用いた読み書き用の記憶素子。主にコンピュータなどで使用されている。

「2010年を過ぎた頃、アジアの半導体メーカーの進出による価格競争などから、国内メーカーは厳しい局面を迎えていました。ここで抜きん出るためには、付加価値の高い製品の開発・製造を行う必要があると考えたのです。かつて人工衛星搭載機器の開発・設計にかかわった私自身の経験が生かせるときが来たと感じました」

赤塚社長は紆余曲折の人生を歩んできた。その経歴はまさに異例だ。日本大学農獣医学部(現生物資源科学部)を卒業後、陸上自衛隊に入隊することになる。

「オイルショックの煽りを受けて就職活動が思うようにいかず、公務員になれればと自衛隊へ。勤務したのは第2高射特科という地対空ミサイルなどを扱う部門でした。やがて航空自衛隊へ出向になり、今度は飛行機を操縦することになった。その後除隊し、電機メーカーで人工衛星搭載機器(通信機器)の開発・設計に携わることになります。今思えば、知らず知らずのうちに、空へ、宇宙へと近づいていたのかもしれません」と赤塚社長は笑う。

難航する廃炉作業にも使えるよう
耐放射線カメラをより高性能に

こうして生まれたマッハコーポレーションが目指しているのは、宇宙開発で得た技術を一般消費者が使用する民生品に応用し、今までにない製品を作ること。近年では、医療機器への応用検討や次世代レーダーの研究・開発も進めている。

マッハコーポレーションとしての製品第一号となる「デジタルX線検査装置」

「私たちの製品で、日常社会を便利で快適にしていきたい。宇宙の技術を人々の暮らしに役立てていくことを目指しています。その1つとして生まれたのが、廃炉作業にも使用できる耐放射線カメラです」

実は、CMOS撮像素子はもっと早く完成するはずのものだった。しかし、人工衛星搭載用として開発が8割がた進み、まもなく完成というときに中断。赤塚社長はあるニュースを目にして、立ち止まらずにはいられなかったのだ。そのニュースは「福島第一原子力発電所の廃炉作業が難航している」というもの。原子炉内の非常に高い放射線量によって、ロボットに搭載したカメラが壊れてしまうという。「これに対応できるのは自分たちしかいない」と直感した赤塚社長は、JAXAと協議。CMOS撮像素子を廃炉作業にも用いることができる耐放射線性能にまで引き上げることにしたのだ。

「事故後の原子炉内は宇宙と比較しても桁違いな放射線量です。それに対応するための開発作業は、別なものに作り直すようなもの。自動車に例えるなら、軽自動車をフォーミュラ(F1)カーに改造するという感じでしょうか。これまで費やしてきたのと同じぐらいの時間と労力がかかる。しかしそれでも、福島の復興のためにやらなければという使命感がありました。神奈川の地から福島を後押ししたいという気持ちしかなかったのです」

こうして、当初の想定よりも倍近い時間をかけて、強い放射線の環境下(原子炉の中)でも使用できる「耐放射線CMOS撮像素子」が完成した。

「耐放射線カメラは、使用する用途や設置する場所などに応じたオーダーに対応して製造します」と赤塚社長

マッハコーポレーションの耐放射線カメラは、さまざまなロボットに装着できるよう軽量・コンパクトになっていることも特長だが、なんといっても特筆すべきはその性能。2MGy(メガグレイ。1メガ=100万)までの放射線量に耐えられるのだ。既存品の最高値が1MGyであることを考えると、その耐久性の高さがわかるだろう。仮に放射線量が1MGyを超える廃炉現場であっても正常に機能し撮影が可能ということだ(限界試験では5MGyまで動作を確認している)。

耐放射線カメラ

「現在は、耐放射線カメラと人工衛星搭載用撮像素子の本格製造に向けた準備を進めています。人工衛星搭載用撮像素子については、ESCC※9020規格に沿った製品 にしなければならず、認定試験、スクリーニング試験、ロット保証試験をクリアすることが必要です。それらの試験が行える設備の構築についても作業を進めています」
※European Space Components Coordination 欧州の宇宙用部品の認定・評価・調達等にかかわる諸活動を統合的に行う組織。

今後の製品生産について話してくれた鈴木取締役によると、福島県南相馬市に福島事業所を設置し製造・販売の拠点にするとともに、衛星搭載の基準であるESCC9020規格の試験工程を福島県内に構築する方向で動いているという。

今後も含め製造・販売について話してくれた鈴木取締役

地域の人々と共に歩みながら
最先端技術で「made in Fukushima」を世に

赤塚社長は、マッハコーポレーションのこれからについてこう話す。

「わが社が福島の地に根差すことで、最先端技術による製品を『made in Fukushima』として世に出せたらいいと思っています。そのためには、行政や地元企業、住民の方々の協力を得て、地域と一緒にモノづくりをしていきたい。自分たちの作ったモノが、宇宙空間で活躍している、復興に欠かせないものになっている、社会インフラの整備に貢献しているとみんなで思えたら、こんなに素敵なことはないでしょう。今は、少しでもそこに近づけるよう、研究・開発と基盤作りを進めていくだけです」

宇宙と原子力発電所が「耐放射線」という1つの技術でつながっている──私たちがこれまで想像もしなかったことを、現実のものとして目の前に示してくれたマッハコーポレーション。「ずっとチャレンジャーとしてやっていきたい」という赤塚社長の言葉に、期待を感じずにはいられない。今後どのように進んでいくのかが楽しみだ。

マッハコーポレーション株式会社

1984年にN・M・B セミコンダクターとして設立。翌年から256Kビットの半導体メモリの試作、量産を開始する。2001年にはユー・エム・シー・ジャパン株式会社に社名を変更し、翌年からフラッシュメモリーの量産を開始。会社設立後一貫して半導体製造にかかわっていたが、2013年に事業の方向転換を図るためマッハコーポレーション株式会社と合併。現体制へと移行していった。2015年にJAXAと耐放射線カメラ共同開発の契約を提携し、2020年に同カメラのサンプル出荷を開始した。現在本格的な製造・販売の準備を進めている。