未来テクノロジー
テクノロジーが拓く、豊かな未来。挑戦し続ける人と企業をクローズアップ
矢口 敏和さん
株式会社アトックス 代表取締役社長
1953年、茨城県生まれ。1976年に一橋大学経済学部を卒業し、株式会社三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行。1994年に同銀行を退職し、株式会社アトックスに取締役として入社。取締役副社長を経て、2008年より代表取締役社長。東日本大震災後の激変する原子力産業において、経営トップとしてかじ取りを担う。また、2000年よりグループ会社である株式会社ビル代行(現グローブシップ株式会社)代表取締役社長、2015年より日東カストディアル・サービス株式会社代表取締役会長を兼任。
ビルメンテナンス事業をルーツに持つ株式会社アトックスは、日本の原子力産業の草創期から60年以上にわたり、全国の原子力関連施設のメンテナンスを手がけてきた。そのスキルを生かし、現在は、福島第一原子力発電所(以下、福島第一)の除染や汚染水処理といった廃炉の最前線で活躍している。千葉県柏市にある技術開発センターを訪ね、代表取締役社長である矢口敏和さんに、東日本大震災からの10年間を振り返っていただくとともに、今後の展望などをうかがった。
原子力産業の歴史とともに歩む
放射線管理のエキスパート集団
福島第一の事故処理では、高い放射線量下での作業管理や建物、設備、機材などに付着した放射性物質の除染を始めとして、セシウム吸着装置(KURION)や第二セシウム吸着装置(SARRY)の運転・保守管理、そしてトリチウム以外の放射性物質を取り除く既設および増設多核種除去設備(ALPS)の運転・保守管理、薬品供給を行っている。
福島第一以外においても、定期検査対応、キャビティ除染、放射性廃棄物処理から、廃棄物の減容化、そして最後の保管に至るまでの情報管理など、幅広い領域で原子力発電所、原子力燃料サイクル施設などに放射線管理のエキスパートとして業務に携わってきた。
北は北海道電力の泊発電所から、南は九州電力の川内原子力発電所まで、20カ所以上に拠点を置き作業に当たる同社は、原子力発電所の保守管理業務で広く知られる存在だった。
1988年には、技術開発の拠点として千葉県柏市に技術開発センターを開設。原子炉ウエルを模した実寸大1/4カットモデルのモックアッププール施設などがあり、アトックスの技術開発の中核として、機器・装置・工法の開発、ロボット・遠隔技術サービスの提供など、多くの技術開発と支援を行っている。
福島第一原子力発電所の廃炉作業は
第2創業ともいえる事業の大転換 ~技術レベルの成長~
2011年3月の東日本大震災と福島第一の事故をきっかけに、仕事の内容が大きく変わったと矢口さんは言う。
「震災前の仕事に求められていたのは、定型的な仕事をフットワーク良くこなすこと。仕事の領域も、やり方も決まっていましたし、使う技術も確立されたものでした。しかし、福島の廃炉作業は誰も経験したことのない環境下で、これまでの技術を応用したり、国内外の優れた技術を活用したり、ある種トライ・アンド・エラーしながら取り組まなければならない仕事ばかりでした。」
2011年4月には、福島復興本部(現在の福島復興支社)を開設し、福島の復興を同社の最優先課題に位置づけた。作業を難しくしているのは、原子炉建屋内作業の多くが高い放射線量下にあるため人の立入りが制限される環境である上に、現場の状況がよく分からないことだった。
「そこで、作業環境を改善するため遠隔操作による除染ロボットを開発することになるのですが、さまざまな制約がありました。例えば作業開始時にロボットを現場まで人の手を使い運ばなければならないので、運搬可能な重さに分割する必要があったこと。さらに、現場の通路幅は狭く、配管等の障害物や高さにも制限があり、機能を最大限にするとともに小型化することも求められました」と開発の難しさを教えてくれる。
そして震災から2年半、小型遠隔除染ロボット「ラクーン」が完成。事故後の原子炉建屋内で除染作業をする初めての遠隔操作ロボットとなった。ラクーンの開発には、同社の壁面除染ロボットなど、これまで蓄積してきた技術やノウハウが生かされている。同機のおかげで除染作業が進み、この功績は高く評価され、2014年の「第6回ロボット大賞」で公共・特殊環境ロボット部門の優秀賞に選定された。
震災の翌年には、国が立ち上げたプロジェクトに参画。建屋内の汚染状況や線量分布を調べる「総合的線量低減計画(iDR)」や、建屋内の圧力抑制室の水位を調べる「円筒容器内水位測定のための遠隔基盤技術の開発(WLD)」を通じて、同社の技術開発が進んでいった。
「他にも、ドローンや遠隔ロボットを使って集めた線量率などのデータを解析し、作業計画の立案も行っています。現在は福島の廃炉作業だけでなく、他の原子力発電所の廃止措置※に向けた技術開発、再稼働プラントへの対応業務なども並行して進めています。求められる仕事が10年前と大きく変わったことで、弊社の技術開発力は一段高いレベルへと進化しました」
※廃止措置…運転を終了した原子力発電所を解体・撤去し、廃棄物の処理処分と跡地を有効利用するための作業を行うこと
廃炉作業を早急に解決するため
海外の優れた技術を日本に導入
福島第一原子力発電所の事故収束作業には一刻も早い対応が求められ、海外からの技術も積極的に導入された。原子力大国であるフランスのオラノ社は、世界最大級の原子力総合企業。事故直後から高濃度汚染水の浄化設備の提供や、さまざまな技術ノウハウの提供などをしている。
アトックスは同社が提供した高濃度汚染水浄化設備の運転と保守を担当。オラノ社との関係を深めるようになり、2014年に合弁会社ANADECを設立。同社の福島を始め、日本での事業活動のサポートをしている。
他にも、イギリス・CREATEC社とライセンス契約を締結し、放射線量率を調査する「N-Visage」システムを導入。得られた点群、線量率データから解析・推定し、汚染強度分布を作成。さらに、撤去作業後の放射線量率の環境変化の予測シミュレーションも行っている。これにより、作業者の被爆リスクを大きく軽減することができた。
「このGammaImager(N-Visageを搭載した測定器)は据え置き型なので、測定場所までロボットで運ぶ必要がありました。その運搬ロボットを会津若松市にあるアイザックというロボット開発会社に設計、製作を依頼して共同開発をしました。地元の企業と海外の技術力ある企業をつなぐ役も担えたと思っています」と、福島のロボット産業の発展を喜ぶ。
コロナ禍の影響で参加できていないが、例年、アメリカのアリゾナ州フェニックスで開催される世界最大級の原子力関連の展示会、ウェストマネジメントシンポジウムにブースを出展。福島の最新状況、廃炉で得た技術やノウハウを世界へ発信するとともに、世界の有用な技術の発掘と、取引先の拡大にも努めている。
世界で初めて遠隔操作用のマスタースレーブマニプレーターを商業生産し、世界シェア50%を誇る米国セントラルリサーチラボラトリーズ社(CRL社)の代理店となり、全国の大学、製薬会社、原子力関連の研究機関が保有する放射線施設への輸入、納入、据付からメンテナンスまで一貫したサービスを提供している。福島第一原子力発電所の廃炉にも貢献すべくCRL社と一体になって検討を重ねている。
培った技術力と現場力で
新たなステージにチャレンジ
この10年で大きく変化したアトックスは、企業スローガンに「人×技術でNext Stageへ」を掲げている。福島復興と原子力産業の信頼回復・再生に貢献し、「人×技術」の相乗効果で、さまざまな課題に一段高いソリューションを提供することを目指す。また、常に一段高い仕事、一段高いレベルは何かを考え、「Next Stage」を目指し切磋琢磨するという思いが込められている。
「これは5年前、福島の復興事業が落ち着きを取り戻し、自分たちのできることも分かり、これからの方向性に自信が見えてきた頃に、スローガンを社内募集したんです。会社の思いを的確に表現してくれたこと、何より現場で働いている社員がこの案を出してくれたことが経営者としてとてもうれしかったですね」と表情を緩める。
ここ数年は、これまで培った放射線技術を活用し、放射線診断や放射線治療という次世代の核医学治療にも挑戦している。アルツハイマー病の早期発見を目指し、国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構と共同で頭部専用PET(陽電子放出断層撮影法)装置の開発に取り組んでおり、来年度中の市場投入を目指している。他にも、北海道大学と共同で前立腺がん診断薬の開発を進めており、早期の完成が期待されている。
次世代の人材育成にも積極的で、双葉郡富岡町にある福島復興支社内に設立された技能訓練センターでは、平工業高校ロボット工作部の学生と教員37名を招待し、遠隔ロボット操作体験会を開催。また、全国の高等専門学校生が福島第一の廃炉技術をテーマに、ロボットの製作技術やアイデアを競う「廃炉創造ロボコン」には、第1回から協賛。アトックス特別賞を設け、運営に協力している。
この他にも、南相馬市にある小高産業技術高校や、いわき市平工業高校を訪問し、廃炉事業の取り組みを紹介する特別授業を行った。テレビや新聞ではあまり報道されない、廃炉の状況や具体的な作業の様子を知ることができたと、学生からも好評だった。
2020年11月末、川崎重工業株式会社の原子力事業をアトックスが継承するというニュースが流れた。2021年4月から2年かけて同社の原子力関連技術などを引き継ぐ事業譲渡が始まる。川崎重工業が半世紀以上にわたり手掛けてきた原子力発電所内の設備や廃炉・廃棄物処理、関連施設などの開発事業の継承は、同社をさらに数段上のステージに導いてくれるはずだ。
震災と原発事故を経験して得た知見、技術力、現場力で、アトックスは新たな可能性の扉を開けようとしている。
株式会社アトックス
1953年、ビル清掃事業として東京に設立。日本に始めて原子力の火がともった1957年から、草創期の原子力産業を支えてきた。放射線管理のエキスパート集団として、日本全国にある原子力関連施設のメンテナンスを担う。東日本大震災と原子力発電所の事故後は、いち早く福島復興本部を開設し、事故の収束に尽力。放射線関連の技術を活用し、近年では頭部PET装置の開発など、核医学治療などにもチャレンジする。