未来テクノロジー
テクノロジーが拓く、豊かな未来。挑戦し続ける人と企業をクローズアップ
佐藤 順英さん
株式会社エイブル 代表取締役
秋田県鹿角市出身。日本大学理工学部電気工学科を卒業し、エンジニアとして東電工業株式会社(現東京パワーテクノロジー株式会社)入社。原子力発電の技術で貢献したいと、1992年、株式会社エイブルを福島県富岡町で創業。制御棒点検・非常用発電機点検業務などを請け負う。東日本大震災後、福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)の廃炉作業に取り組んでいる。
2020年4月29日。福島第一原発にある高さ120メートルの排気筒を、ロボットを使った遠隔操作で解体する作業が完了した。大手ゼネコンが敬遠する中、世界でも前例のない大仕事を成し遂げたのは、発電所の建設やメンテナンス、ロボット事業、発電事業を行う株式会社エイブル。原発事故によって大熊町から広野町に避難した企業の一つだ。廃炉の最前線で福島の復興に取り組む思いを、代表取締役の佐藤順英さんに聞いた。
世界が注目した歴史的なプロジェクト
成功の理由は、確かな技術と地元を思う心
「原発事故が一日でも早く収束するために、今も全員が一丸となって作業に取り組んでいます」と、ゆっくりと話し始める佐藤さん。何より大事にするのは、「社員の安全」と「被爆の管理」。爆発事故があってすぐ、自ら現場に赴き放射線量を測り、どこまでのエリアなら安全に作業ができるか調査した。「社員を守らなければいけない。一方で、福島第一原発をよく知る地元企業の私たちが行かなければならいという使命感もあり、そのジレンマに悩まされました」と当時の心境を語る。
震災前から、エイブルは福島第一原子力発電所のメンテナンスや改造工事、定期検査などを行ってきたが、廃炉という作業はまったくの未経験だった。技術的に足りない部分は、社員みんなでアイデアを出し合ったり、必要な人材をスカウトしたりしながら、社員や協力会社など100名近くの人間が24時間体制で作業にあたった。
人材の採用では苦労したのではないだろうか。
「採用で大切にしたのは、“志”です。どんなに優れた技術を持っていても、『浜通りのため、日本のために、世界のために』という心がない方には辞退してもらいました。廃炉作業は半端な気持ちでできる仕事ではありませんから」
そして、前例のない遠隔ロボットシステムによる排気筒の解体作業が始まった。事前に高さ18メートルのモックアップを作り、何度も実証試験を繰り返し、準備を進めていった。高い放射線のため排気筒には近づけず、200メートル離れたバスの中からロボットを操作することも、作業の難易度を高めた。排気筒は120メートルもあるため、風や揺れ、天候による温度変化などの影響によって、思うように作業が進まないことも少なくなかったという。
9カ月間の工期を無事故で終え、解体工事は成功。装置に使用した部品の生産や加工などは福島県内の企業に依頼していた。トラブルが起きてもすぐに修理し、スムーズに対応できたのも、地元の協力会社のおかげだと佐藤さんは話す。東京電力からは、「超難度な廃炉作業を完遂できる、高い技術力を持った地元企業の存在を認識した。今後の廃炉作業を地元と一体になって進めていく大きな成果になった」と感謝の言葉が送られた。
廃炉で培った技術をブラッシュアップし
より良い世界を作るために発信する
今回の排気筒解体プロジェクトは、それまで発電所のメンテナンスなどを「請け負う企業」だったエイブルを、ロボティクス技術や遠隔操作といった「技術を提供する企業」へ転換するきっかけにもなった。
排気筒の解体以前にも、排気筒下部にある地下槽にたまる汚染水の排水作業にも携わっていた。当初は海外メーカーの下請けとして作業する予定だったが、時間がかかること、連携の難しさなどを理由にエイブルが直接担当することになった。
ロボットは重い荷物の運搬や単調な仕事に向いているが、カバーを切断したり、モノを運んだりするのは苦手。そこで現場と同じモックアップを作り、ロボットの開発と試験を繰り返し、先端部分を付け替えることでモノをつかむ、切る、はさむなどを行えるアームロボットが完成した。「通常なら3年かかると言われた開発を、わずか半年でやり遂げてくれました」と社員をねぎらう佐藤さん。
廃炉作業で培った技術は、火力発電プラントやゴミ処理プラント、化学プラントといった危険な現場で作業するロボットに応用することもできる。また、少子高齢化が進む農業の分野なら、ロボットトラックなどの自動運転に応用できないか、さまざまな可能性を検討中だ。
今は研究開発グループにロボット開発のチームを創設し、ロボットメーカーや大学、研究機関とともに新たなニーズに応えるロボットの研究開発に取り組んでいる。その根底には、「人に優しい技術に成長してほしい」という思いがある。
人間が制御できない原子力は使うべきではないと佐藤さんは考える。「ただ、地球の資源は有限なので、原子力発電所が必要なことも理解できます。だったら、もっと小型化するとか、緊急時には潜水艦のように水に潜るとか、技術革新をしていく必要もあるのではないでしょうか。ただ反対するだけでなく、負の遺産をプラスに変えていく必要があります」。30年近く原子力発電の仕事に携わってきた佐藤さんが、原発事故から学んだことの一つだ。
再エネ事業に隠された本当の思い
世界初を目指した新たなチャレンジ
2013年からは太陽光発電をスタートさせ、「ソーラーパークひろの」「ソーラーパークならはⅠ」「ソーラーパークならはⅡ」の3つのメガソーラー発電所を建設し、約4メガワットの電力を供給している。いわき市では、国内最大級となる出力112メガワットの木質バイオマス発電所を建設中で、2022年4月の稼働を目指している。
ただ、再生可能エネルギー事業への進出は、日本のエネルギー問題を解決しようという野望があったわけではないという。
「廃炉作業をして被曝線量の累計が上限に達すると、最長5年間、放射線のある場所では働くことができないという規制があります。上限に達したから会社を辞めてくださいとは間違っても言えるわけがなく、命をかけて廃炉作業に関わった社員の雇用を守るために、新しい雇用先として作ったのが再生可能エネルギーの発電所だったんです」
福島第一原発の廃炉作業は、ますます放射線量が高い場所に移っていく。「社員には感謝しかない、一生かけて恩返ししたい」と何度も繰り返す佐藤さん。
また、東京大学生産技術研究所や国内企業とともに、波力発電の実証実験を行っている。これまで岩手県久慈市、神奈川県平塚市で実績を積み、今後は浪江町にある請戸漁港の防波堤の沖合で事業化に向けた実験を行う。高さ3.5メートル、幅10メートルもある鉄とゴムを使ったラダー(複合板)方式を採用し、2022年にもプラントを完成させる。2023年の発電を予定し、最大200キロワットを見込んでいる。
「波力発電は技術的に難しく、世界でもまだ商用利用できていません。福島県は波エネルギーが豊富な場所。浪江で事業化できれば、人類初になるんですよ」と意気込む佐藤さん。働く場所を作るという思いから始まった再生可能エネルギー事業は、地域に新たな産業を生み出そうとしている。
諦めない先に成功がある。
自ら動き出すことで、地域が変わる。
震災から10年、廃炉作業に取り組んできたエイブル。次の10年に向けて、どのような未来を描いているのだろうか。
「産業革命以降、人は大量消費・大量生産の時代を歩んできた結果、ずいぶんと地球を壊してしまった。必要なモノを、必要なだけという発想が大事。さらに、相手を思いやる心、助け合う精神を大切にした方がいいと思います。人間本来の原点に回帰する、「心の復興」も必要なのではないでしょうか」と投げかける。
「日本だけでなく、世界も福島に注目し、どのような復興を果たすのか期待しています。ありがたいことに、補助金やさまざまなサポートのおかげで、私たちのような小さな会社でも思い切った投資や開発ができる。お金もうけではなく、世の中のため、人のために尽くすことが、人間として最高の行為だと考えます」
当初、廃炉作業は30歳よりも上の社員に限定していたが、あるとき20代の社員が作業をしていた。佐藤さんが話を聞くと、浪江町で生まれ、浪江町で育ったと言う。小さな頃からいつもそばにあった福島第一原発が壊れ、煙を出している姿が悔しくてたまらないと答える。だから、僕は力になりたいんだと。「彼の言葉を聞いて、思わず涙が出てしまいました」
この言葉を知っているかいと教えてくれたのが、「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何ができるのかを問うてほしい」という第35代アメリカ大統領である、ジョン・F・ケネディの言葉。
「補助金が足りない、あれを作ってほしいではなく、私たちが浜通り地域に何ができるかを考え、アクションを起こせば、きっとみんなが応援してくれるから」と優しく笑う。
「エイブル」の社名は、“be able to = can(可能)”に由来している。諦めなければ、失敗はない。その原動力にあるのは、地域を思う一人ひとりの志なのかもしれない。
株式会社エイブル
「発電所などのプラント建設およびメンテナンス工事」「ロボット開発・設計・製作・操作」「再生可能エネルギー事業」の3つの柱を軸に、「全従業員の物心両面の幸せを追求するとともに、人類・社会の進歩発展に貢献する」を経営理念に掲げ、事業を行う。2011年の東日本大震災以降は廃炉事業に取り組み、同社のロボット技術や遠隔操作技術の評価は高い。現在、いわき市に木質バイオマス発電所を建設するなど、次世代エネルギーの研究開発も進めている。