ウェルビーイング
良質なアウトプットを生み出すため。ココロとカラダ、個人と組織の「幸せ」のマネジメント集
宮本 涼平さん
いわきスポーツクラブ いわきFC ストラテジー推進室 いわきFCパークマネージャー
1988年生まれ。福島県いわき市出身。小学6年生で地域のクラブチームでサッカーを始め、湯本高校ではインターハイ(全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会)出場に貢献。神奈川大学経営学部国際経営学科に進学後は趣味としてサッカーを楽しむ。卒業後は広告代理店、芸能関係事務所を経て(株)湘南ベルマーレに勤務。スタジアム演出や営業に従事しながら、現在のいわきFCの前身となった、同級生の向山聖也氏による社会人サッカーチームいわきFCの立ち上げに参画。2018年、向山氏よりチームの運営権を引き継いだ、(株)いわきスポーツクラブに転職。現在に至る。
Uターン、Iターン、Jターンをした人は、何に導かれ、何を頼りに福島の地に根を下ろしたのか。今回は、2015年に発足したいわきのフットボールクラブ「いわきFC」を運営する、いわきスポーツクラブの宮本涼平さんにお話をうかがった。宮本さんはいわき市出身。だが、「単に地元出身だから戻ってきて転職したわけではない」という。不思議な縁をチャンスと捉えた、前向きなチャレンジを追う。
「地域を健康に」。2018年にUターン
いわきの青空に、赤と青のコントラストが映える。いわきFCパークの3階建ての建物だ。中を通って奥に進むと緑のグラウンドが飛び込んでくる。2019年、全国地域サッカーチャンピオンズリーグを制し、日本フットボールリーグ(JFL)への昇格をつかみ取ったフットボールクラブ「いわきFC」のホームグラウンドだ。選手たちがピッチを駆けている。
「いわきFCパークは、いわきFCのクラブハウスと商業施設が一体化した施設です。スポーツを通じていわきの人々に活力を与えようと、2017年にオープンしました。商業施設を複合した形でクラブハウスを運営するのは、日本では初めての試みです」
そう説明してくれるのは、いわきスポーツクラブの宮本涼平さんだ。宮本さんは、チームのフロントスタッフとして試合運営などの業務に就く一方、いわきFCパークのマネージャーとして、施設の運営やイベントの企画等に従事している。
「いわきFCパークはオープン当初、都内の有名な飲食店をテナントに招くなど、エンターテインメント性やブランド性を重視していましたが、今は“健康”に軸足を移し、テナントやサービスの刷新を進めているところです。というのも、実はいわきは(遺伝や生活習慣が関係するといわれる)Ⅱ型糖尿病の人が非常に多い地域なんですよ。なのでここを拠点に、いわきを不健康都市から健康都市に変えていきたいと考えています」
力強く展望を語る宮本さんだが、実は自身もいわき市の出身という。2018年にUターンして現職に就くまでは、東京や神奈川で働いていた。
「サッカー」を諦めない。
夢があるから外に出た
「兄と姉の影響もあって、小学6年生の時に地元のクラブチームに入りました」という宮本さん。根っからのサッカー好きだった少年が高校進学で選んだのも、県内の強豪校の1つ。「チームとしてインターハイには出場したのですが、私自身は、いわゆる1軍と2軍を行ったり来たり。この中で抜きん出ることは無理だと悟り、大学で部活動としてのサッカーを続けることは諦めました」
とはいえ、サッカーへの情熱が立ち消えたわけではなかった。進学先に神奈川大学経営学部国際経営学科を選択したのも、「サッカー」のため。「選手」としてではなく、「オーナー」としての道を夢見た。
「地元であるいわきに、自分のフットボールクラブを持ちたい。選手として活躍するのが無理なら、オーナーを目指そうと。切り替えが早いのでしょうね(笑)。そのためには、スポーツビジネスの分野で先行する海外で学びたい。起業と海外をキーワードに探して見つけたのが、神奈川大学の学科でした」
宮本さんの強みは、その行動力に尽きるのではないか。入学後は「Jリーグにインターンシップに行く」と決心し、関東のJリーグ全チームに履歴書を送付。結果、大学2年時に東京ヴェルディ、次いで湘南ベルマーレにインターンシップに行くことができた。
ところで、首都圏に出てからは、地元・いわきをどう思っていたのだろう。
「いずれ帰りたいと思っていたし、何でしょうね、自分を育ててくれたいわきに恩返しをしたい。漠然とですが、そうした気持ちはずっとあったように思います。いわきでフットボールクラブを経営したいというのも、地元に恩返しする手段の1つと考えていたのかもしれません」
しかし卒業後の就職先に選んだのは、「いわき」にも「サッカー」にもすぐには結びつきそうにない、都内の広告代理店。「すでにJリーグのクラブで働いていた兄に、“プロサッカークラブで戦力になりたいなら、一般企業で経験を積むべき”と言われ、なるほどと。新卒でいわきに帰っても、まだできることはないとも思っていました」。いずれは帰るから、今は東京でできることを経験しておこう。そう、考えたという。
「いわきFC」の立ち上げに参画するも
湘南ベルマーレで研鑽を積む
宮本さんをいわきに引き寄せる一連の出来事は、2012年、社会人2年目の時から立て続けに起こった。
まず、高校の部活のチームメイトであった向山聖也さんが、いわきで社会人サッカーチームを作ろうと動き出したのだ。宮本さんも都内で勤務する傍ら、コンセプトやロゴを考えたりと、共に立ち上げに尽力した。実は、そうして立ち上がったチームが現在の「いわきFC」の前身となるチームだ。後にアメリカのスポーツブランド『アンダーアーマー』の日本総代理店である(株)ドームが、運営権を譲渡して欲しいと持ち掛け、現在の「いわきFC」が誕生することになる。
「(株)ドーム代表取締役CEOの安田秀一が、東日本大震災の支援でたまたまいわきを訪れたことをきっかけに、両者の縁ができました」
宮本さんがその経緯を説明する。安田CEOは持続的な経済復興のために、まずアンダーアーマーの物流センターをいわきに構えた。現在、いわきFCパークの横にある、ブルーグレーの倉庫がそれだ。
「並行して、フットボールクラブの設立も進めました。物流センターで雇用を生み、サッカーで夢を生み出すのが狙いです。子どもが夢を持ち、ここで育ったことを誇れる街にする。それが本当の意味での復興になると考えたわけです」
いわきでフットボールクラブを設けるに当たり、安田CEOがパートナーに選んだのが、当時、湘南ベルマーレの代表取締役社長を務めていた大倉智氏だった。宮本さんは、偶然にもその直前に、請われて湘南ベルマーレに転職したばかりであったという。
「驚きました。転職したら、そこの社長が福島県いわき市に移ると言い出し、しかも方法は違えど僕たちが立ち上げたチームの運営をおこなうという。一方でこれはチャンスだとも思いました」
ところが ―― 。
大倉氏は現在の株式会社いわきスポーツクラブを立ち上げ、一からチームづくりをすることになるのだが、その中に宮本さんはいなかった。
「当然といえば、当然ですよね。いくら立ち上げに携わったとはいえ、湘南ベルマーレに入社したばかりですし、経験もないに等しい。自分でももっとプロサッカーチームの経営や実務を学ぶべきだという考えもあったので、当時はすんなり受け入れられました。でも2017年に湘南ベルマーレがJ1に昇格し、勝手に区切りが付いたと判断して(笑)。それで、いわきの大倉社長に電話して、“いわきで働きたいです”と直談判しました」
おかげで今の活躍があるというわけだ。幾つもの偶然が重なって、「サッカーで地元を盛り上げる」という、思い描いていた形でのUターンを果たすことができた。
意欲とチャンスを携えて
地元で見つけた新たな目標
いわきスポーツクラブに転職した感想を聞くと、先進性に驚いたという予想外の返事が得られた。
「このチームは、グローバルを市場とする(株)ドームが運営するクラブです。だから当然、すべての物事を世界基準で考え、行動指針も“世界ではどうか”を常に意識します。チームづくりもそう」
Uターンするというと、最前線から退くという印象を持つ人は多いが、「そんなことは全然なくて、むしろ視野が一気に世界に広がった」という。「やりたいことがあるなら、働く場所は重要ではないのかもしれませんね」
地元に帰ってきて、新たな目標も見つけた。
「11年ぶりにいわきに戻り、発見が幾つもありました。例えばひと口にいわきといっても、地域によって多様な個性や文化があることも、以前住んでいた時には気づかなかった。外に出たからこそ見えることが多くて、それを仕事に生かしたいと思っています」
宮本さんは、いわきには将来性があると分析している。
「震災をきっかけに“地元のために何かしたい”と考えるようになった人が、行動を起こしています。新しくビジネスを始める人も増え、行政のサポート体制も充実していると聞きます。何かを始めたい人には有利な環境ではないでしょうか。少しでもいわきに住むことを考えているなら、情報を得るための行動を起こしてみるといい。いわきのポジティブな面が分かりますよ」
Uターンの先輩は、実に楽しそうに、充実した表情でそう後輩たちにアドバイスしてくれた。
株式会社いわきスポーツクラブ
2015年12月設立。フットボールクラブ「いわきFC」の運営事業のほか、スポーツ教室運営事業、スポーツ施設運営事業、コンテンツ販売事業等を行う。2017年には日本初の商業施設併設型クラブハウスを開業。2019年、全国地域チャンピオンズリーグを制し、2020年シーズンからJFLへ参入。