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新型コロナウイルス感染症の影響で、自宅やオフィスではなく観光地などに場所を移し、休暇(バケーション)を楽しみながら仕事(ワーク)もするのが、ワーケーション(ワーク+バケーション)だ。2021年11月から12月にかけての土日に開催された(全5回)のが「なみえワーケーショントライアル 〜みんなで考える浪江のワーケーション〜」。11月13日、14日に第2回が開催され、福島県外から10名が参加。東日本大震災、福島第一原発事故、その後の全町避難を経験しながらも復興へと歩む、浪江町におけるワーケーションの可能性を探った。
すがすがしい秋晴れの空のもと、電車に揺られて浪江町にやってくる参加者。第2回目となる「なみえワーケーショントライアル」には、仙台と東京から計10名のエントリーがあった。目印のボードを持ち浪江駅で迎えるのは、浪江町役場なみえプロモーション課の吉野碧(よしの あおい)さん。
吉野さんは須賀川市から浪江町に移住し、同僚の庄司結衣さん(大分県出身)と町の地域おこし協力隊として活動している。こういった町外からの若者が活躍しているのもいまの浪江町の特徴かもしれない。
検温やツアー行程の説明を受けた後に、お腹を減らした参加者たちが真っ先に向かったのは道の駅なみえ。ここでは、浪江町名物の「なみえ焼そば」や、地元の請戸漁港に水揚げされる海の幸たっぷりの「海鮮チラシ」や「釜揚げしらす丼を」を堪能できるフードテラスが人気だ。この日もちょうどお昼時とあってテーブルは満席。カフェのカウンターでお洒落なランチプレートを優雅に味わう女性陣の姿も見られた。
今回の「なみえワーケーショントライアル」を開催したのは、一般社団法人まちづくりなみえ。菅野事務局次長に開催に当たっての思いを伺った。
「コロナ禍でワーケーションという言葉が先走りしているように感じています。首都圏の企業でも制度はまだ確立されていないようです。そんな状況で行う今回の事業では、会社が休みの土日を利用して浪江町に足を運んでいただき、まずは被災地の現状を参加者ご自身の目で見ていただく。そして、この町で過ごすことがどういうことなのか考える機会にしてもらいたいですね」
「被災地からの距離が遠いほど、震災の記憶の風化が進んでいると思います。片や同じ日本でもまだ復興が道半ばの被災地があるということを一人でも多くの方に知っていただきたい。この町での体験を持ち帰り、何かしらみなさんの日常に生かしていただけたら幸いです」
「ワーケーションを実施するために企業や個人としてのハードルはどこにあるのか、この地域に足りないもの、あったらいいものは何か、アンケート調査も行って浪江町でのワーケーションの制度化につなげていきたいと思います」
道の駅で昼食をとり終えた参加者はバスに乗り込み、アテンダントも務める菅野事務局次長の運転で浪江町内の視察へ。最初に訪れたのは復旧が進んだ様子の請戸漁港。2020年4月から再開した港には、現在28隻の船が停泊し週に2〜3日の試験操業を行っている。津波により全480戸の住居を流されてしまった請戸では、港だけは元の姿に戻したいという住民の希望が多く寄せられたという。この港がすべて流されてしまった請戸の、そして浪江町の希望となっているのを感じた。
請戸港の近くには、福島県内では初めての震災遺構となった浪江町立請戸小学校がある。参加者の希望で立ち寄り、施設内を見学した。津波のつめあとは想像以上だ。剥がれ落ちた外壁、折れ曲がった鉄骨、むき出しの配線が、押し寄せた津波の破壊力を物語る。当時通っていた児童93名(うち1年生11名は帰宅しており後に無事を確認)は、教職員の迅速な判断と児童の協力により、奇跡的に全員が無事避難することができたのが救いだ。
請戸小の教職員と児童が歩いて避難した大平山へ、一行はバスで向かった。現在は、東日本大震災の慰霊碑が立つ高台の大平山から、約1キロ先の小学校とその先の水平線を望む。震災当日は、この高台のすぐ下まで津波が到達したのだと言う。つまり、津波が押し寄せる前に、この高台にたどり着けたかどうかが生死を分けたということだ。助かった命がある一方、浪江町では震災で182名が亡くなっている。一次避難場所にもなった大平山に立ち、あらゆるものを飲み込んだ大津波の猛威が胸に迫った。
次に向かったのは、棚塩工業団地。この団地には、次世代燃料として注目が集まる水素の研究施設や、福島県産の木材でより強い集成材を造る高度集成材センター、13キロ離れた南相馬市の福島ロボットテストフィールドと結ぶドローン用の400メートル滑走路などが集まる。
2021年に開催された東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会で、聖火を灯すのに使われたのが浪江町でつくられた水素だ。Jヴィレッジからスタートした聖火リレーのトーチにも一部使われ、環境にやさしい炎を掲げた聖火ランナーが浪江町内を駆け抜けた。次世代燃料として注目される水素を製造している福島水素エネルギー研究フィールド(以下FH2R)を、棚塩工業団地の北側にある高台から望む。辺り一面に広がる太陽光パネルの電力を利用し、水を電気分解して水素を生むというFH2Rに先進性を感じた。
浪江町内の視察を終え向かったのは、2021年8月にレストランを備えた新管理棟が完成し、グランドオープンした福島いこいの村なみえ。参加者が宿泊するコテージは、震災後に中通りに建てられたログハウス風の仮設住宅の一部を解体して移築したものだという。
チェックイン後は、参加者が楽しみにしていた自由時間。無料のレンタルサイクルにまたがり「海産物を探しに請戸へ出かけてみます」という人もいれば、「道の駅なみえで地元のお酒をいろいろと飲み比べてみたい」というグループも。希望者は菅野さんの運転するバスに再度乗り込み、思い思いに浪江町でのひとときを楽しんでいた。
2日目の始まりは、道の駅なみえでの大堀相馬焼手びねり体験。道の駅へ向かう前、避難区域となったままの大堀地区の様子を車窓から眺める。かつては、大堀相馬焼の窯元が集まっていた地区だ。道の駅なみえ「なみえの技・なりわい館」では、福島県内各地で再開している窯元の作品を一堂に集めて展示販売しているほか、併設した工房で手びねりや絵付けの体験を行っている。
この日、参加者を迎えたのは春山窯 窯元の小野田利治さん。時間が経つにつれて、小野田さんのお手本通りとはいかず、救いを求める参加者もちらほら。小野田さんの手にかかると、瞬く間に見事な作品が出来上がっていく。各自が選んだ好きな色に塗られ焼き上げられる世界に一つの作品。参加者は、約2カ月後にその器が届いた時改めて大堀地区を、そして浪江町を思うのかもしれない。
お昼を済ませ午後から始まるワークショップまで、お土産を見て回る参加者たち。手びねり体験をした大堀相馬焼の見事な器や地元浪江町の酒蔵である磐城壽(震災後山形県長井市に避難し酒造りを行いながら、2021年3月から「なみえの技・なりわい館」内でも酒造りを始めた)の日本酒、取れたての野菜などを買い求めていた。
最後となったワークショップでは、今回のツアーで感じたことをグループごとに書き出す時間が設けられ、参加者は真剣な様子で黙々とペンを走らせていた。その後、質疑応答と一人一人が参加しての感想を発表した。
帰りの電車の時刻もあり時間は限られていたが、「復興が遅れていることを伝えていきたい」「もっとこの町のことを知ってもらいたい」「浪江町の良さを知ったので応援していきたい」「震災を機に大きく変わった浪江町のパワーを感じた」など、それぞれの参加者の思いが伝わってくるスピーチだった。
取材の最後に、参加者に感想を尋ねた。
仙台から職場の仲間と一緒に参加した佐藤和彦さんは
「常磐道は利用しますが、浪江インターチェンジでは降りたことがありませんでした。実際に町内を見て回って、街として復興が進む仙台と比べて、浪江町には朽ち果てた家や更地がかなり多く、復興が進んでいない印象を受けました。何か役に立てないかと考える機会になりました。仙台からは特急で1時間少しなので、ぜひまた訪ねたいです」
東京から二人で参加した松田喜美子さんと唐木敬子さんは
「震災から10年が経ち、3月11日は震災のことを振り返りますが、毎日の生活は慌ただしく普段は震災を忘れかけていると思います。今回は浪江町の現状を知るいい機会となりました。東京に戻ったら、周りの人たちに浪江町へ行ってきたこと、この町の現状を伝えたいと思います」
「まずは浪江町の現状を見てもらい、この町で過ごすことがどういうことなのか考えてもらいたい」という菅野事務局長の思いを、参加者それぞれが受け止めてくれた「なみえワーケーショントライアル」。浪江町の今後のまちづくりにつながるだろうイベントだった。
一般社団法人まちづくりなみえ
2018年1月設立。浪江町をより豊かに魅力的に再生、復興させることを目的に、官民協働による“オールなみえ”で住民主体のまちづくりを行っている。東日本大震災、福島第一原発事故で全町避難を経験した浪江町で、町のいまと向き合いながら、道の駅なみえの運営をはじめイベントなど様々な事業に取り組む。