被爆者体験講話を実施しました
当館で3月21日、長崎に投下された原爆で被爆された八木道子さん(83)が講話しました。福島県沖地震の影響で来館できず、リモート(画面越し)での実施となりましたが、戦争や核兵器の悲惨さや恐怖、平和の尊さについて訴えかけました。
【画面越しに被爆体験を語る八木さん(右)】
長崎に原爆が投下されたのは1945年8月9日11時2分。長崎市によると73,884人が命を落としました。講師を務めた八木さんは当時小学1年生。原爆が投下された場所(爆心地)から3・3キロの自宅で、きょうだい5人で被爆しました。鳴いていたセミの声はせず、外は真っ暗になり、長崎は火の海となり空だけが真っ赤に染まっていたそうです。
爆心地に最も近い小学校では児童や先生ら1400人が亡くなりました。生き残った人も鼻血が止まらなかったり、髪の毛が抜けたりと、急性放射線症の症状が出ました。八木さん自身も下痢の症状が出たといいます。
講話では団地や家々が跡形も無くなった長崎市街の空撮写真などをスライドに映しました。原爆の威力を具体的な数値で示したほか、聴いている人の脳裏に浮かぶように、具体的で生々しい当時の記憶を語りかけました。
「たくさんの生活がありました。生きて、遊び、笑い声がありました。11時3分を迎えられなかった子どもたちがどれだけいたことか…」と無念そうに話します。強烈な熱線を浴びて黒焦げになってしまった少年の写真を映し、八木さんの思う平和について語りました。「人間として生まれたんだから、人間らしく、人間として死にたい。原爆で死ぬことは人間らしいと言えますか?」